九州フィールドワーク研究会・活動報告
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みつばち出動 投稿者:あるぱか 投稿日:2015/04/04(Sat) 08:59 No.5622  

ニホンミツバチはちみつ注射、完成。



Re: みつばち出動 海坊主 - 2015/04/04(Sat) 12:49 No.5623  

すごい!


Re: みつばち出動 きのこ - 2015/04/04(Sat) 15:01 No.5624  

つるこばちが、はちみつを分けてくれるよ。
あったかい紅茶も用意しているよ。



Re: みつばち出動 きのこ - 2015/04/04(Sat) 15:03 No.5625  

働きばち待機。



Re: みつばち出動 きのこ - 2015/04/04(Sat) 15:09 No.5626  

野研チラシのセット。
たぶん150ぐらい配った。



Re: みつばち出動 きのこ - 2015/04/04(Sat) 15:12 No.5627  

新入生歓迎企画。新入生を探すのがたいへん。



桜の春にドローンの飛ぶ 投稿者:海坊主 投稿日:2015/04/03(Fri) 21:18 No.5621  
第一回ドローン研究会(略称:ド研)に参加した。最近、すごい勢いで普及がすすんでいるドローンの研究利用のための勉強会である。会場は京都の二軒茶屋にある「総合地球環境研究所」。なんとも物々しい名前の研究所だが、実際になかなか物々しい建物なのである。
http://guroku.blogspot.jp/2015/04/blog-post_42.html



新作!チーズはんぺん 投稿者:きのこ 投稿日:2015/04/03(Fri) 17:40 No.5620  

今月4月の将棋処香車は、やすの蒲鉾「チーズはんぺん杯」。

チーズはんぺんは、今月から販売がはじまった、やすの蒲鉾の最新作にして自信作。

見た目さんかく。はんぺんフワフワ。チーズがクリーミー。健康に配慮して塩分控えめ。おいしい。

http://daigakudo.blogspot.jp/



夜桜ピクニック 投稿者:きぞく 投稿日:2015/04/02(Thu) 23:58 No.5619  

暗い川岸に白く浮かぶ染井吉野。
特別なライトアップなんかはなくて、いつもの街灯にぼんやりと照らされています。
川の両岸にずっと続いていて、川辺にすわると、どこを見上げても桜が咲いています。ウミボが持ってる360°撮影できるカメラがあったら良かったのにね。
なんだがニセモノの世界に迷い込んだようです。

公園ではいくつかのグループがバーベキューやお弁当を楽しんでいます。
川に降りていく石段にすわってピクニック。
メニューは、赤いワインと味噌漬けチーズと鮒寿司。あとキノコ母が作ったインゲンのきんぴらと蕗の炊いたの。

現実から離れたひととき。
写真には写らない世界での出来事。



旅立ち 投稿者:きぞく 投稿日:2015/03/23(Mon) 11:19 No.5605  

久しぶりにやってきて、自分の人生の一大事とふれて回り、体調不良の友達も呼び出して、自らお祝いの宴をセッティングする。そのエネルギーにも感心するけれど、こんな見たこともないような刺し盛りをゲットしてしまうことに何よりも感心する。なんだかんだいいながら、愛されているのか。愛とはなんなのか。
こんな人が、4月から佐賀に行くそうです。佐賀および、有明海沿岸のみなさま、心してお待ち下さいませ。



Re: 旅立ち かしら - 2015/04/02(Thu) 17:37 No.5618  

わかめが佐賀にお見えになり、有明海の潮が今よりさらに引かないように案じるばかりです。


新手の 投稿者:もこ 投稿日:2015/03/31(Tue) 14:23 No.5612  

初挑戦 海鮮パフェ?
限りなく食べづらくはあるけれど



Re: 新手の 海ぼうず - 2015/03/31(Tue) 16:29 No.5613  

いいね


Re: 新手の きぞく - 2015/03/31(Tue) 20:14 No.5614  

いいね!

だいたいパフェは食べにくいものだよね。パフェスプーンみたいな長細い箸とかあるといいかも!



Re: 新手の きのこ - 2015/03/31(Tue) 21:18 No.5615  

具がニセモノっぽく見えるパフェの力、すごい。器がちがうだけなのに。ぜひ、大學堂HPの店長日記に投稿して!


Re: 新手の かしら - 2015/04/02(Thu) 17:33 No.5617  

すごい!キンキンに冷やしてスプーンで食べるべし。


ヴァヌアツ・サイクロンパム情報 投稿者:海ぼうず 投稿日:2015/03/14(Sat) 16:07 No.5589  

中心気圧890.3mb 最大風速152.0 ノット= 毎秒78.2メートルというとんでもない巨大な台風・サイクロンパム(Cyclone Pam)が、13日にバヌアツの首都エファテ島とエロマンガ島を直撃しました。とめは2日違いでぎりぎり脱出したようです。本人がこの幸運に気づいているかどうか解らないけど、もし1日遅れていれば脱出できなかったかもしれません。

死者も多数出ているようです。ジョンソンたちに電話をしていますが、いまのところ通じません。

台風進路の資料はこちらにあります。
http://reliefweb.int/sites/reliefweb.int/files/resources/www.ifrc_.org%20-%20IBPacificTC130315.pdf

日本ではまだほとんど報道されていませんが、検索するとワールドニュースで流れています。サイクロンパムは今もニュージーランドに向かっています。



Re: ヴァヌアツ・サイクロンパム... 海ぼうず - 2015/03/14(Sat) 17:29 No.5590  

http://www.bbc.com/news/world-asia-31883712
ポートビラから現地の映像



Re: ヴァヌアツ・サイクロンパム... 海ぼうず - 2015/03/15(Sun) 20:11 No.5591  

ポートビラから現地の映像2
見慣れた風景が・・・。離島の情報はまだはいらず・・・。
https://www.youtube.com/watch?v=Rm8BXiiM9iU
https://www.youtube.com/watch?v=wlHnPpBVmnM



Re: ヴァヌアツ・サイクロンパム... 海ぼうず - 2015/03/15(Sun) 20:13 No.5592  

自動でリンクがはれなかったので、再投稿します。
現地からの映像
http://www.youtube.com/watch?v=Rm8BXiiM9iU
http://www.youtube.com/watch?v=wlHnPpBVmnM



Re: ヴァヌアツ・サイクロンパム... 海ぼうず - 2015/03/15(Sun) 20:20 No.5593  

Graham Crumbleの撮影
http://www.youtube.com/channel/UCiRg-pBpybjPY5QDGa11FDw



Re: ヴァヌアツ・サイクロンパム... 海ぼうず - 2015/03/16(Mon) 08:37 No.5594  

いま携帯電話で首都ポートビラのジョンソンと連絡が取れました。私の知り合いはみな無事で、木や電柱が倒れ多くの家屋に被害が及んでいる。まだ離島(フツナ)との通信はできず、飛行機も国内線は飛んでいない。とのことでした。


Re: ヴァヌアツ・サイクロンパム... きのこ - 2015/03/17(Tue) 22:08 No.5595  

今日ジョンソンに電話するけど連絡とれませんでした。
新聞にも被害の写真が載っていますね。
海ぼうずがリンクはっているIsoが撮った映像見ました。10万もアクセスがある。たしかに見慣れた場所が、ひどいことになっている。



Re: ヴァヌアツ・サイクロンパム... 海ぼうず - 2015/03/24(Tue) 15:21 No.5610  

イソに教えてもらったサイト。ここの情報が最も最新で詳しい。
erromangoの航空写真なども、こちらから見ることができる.
Vanuatu Futuna 現地の情報
死者なし...
http://www.humanitarianresponse.info/…/futuna-island-17-mar…
======
Futuna Island - 17 March 2015
Overview
1. No deaths, but some minor injuries
Communications
1. Communications tower is down
WASH
1. There is access to clean drinkning
water.
Livelihoods
1. Local vegetable gardens damaged.
2. Fruit and banana tree damaged
(extent unknown).
Food
1. Crops will last 2 weeks
2. Local shops are open and trading



Re: ヴァヌアツ・サイクロンパム... 海ぼうず - 2015/03/24(Tue) 15:22 No.5611  

トメが住んでいたサウスリバーの最新の航空写真



Re: ヴァヌアツ・サイクロンパム... とめ - 2015/03/31(Tue) 23:17 No.5616  

すごいです、みごとにコンクリートハウスしか残ってない。
私が寝ていたグラスハウス(右側)が残っているように見えるけど、雨漏りしてるかもしれないし。
すごいのはその隣のティンバーの家が建っていること!
この家を建てたのは、お世話になった大工のバリンで、すっごいきっちりしたお父さんなのだ。そのお兄さんの家は壊れているみたいなのだけど、彼のは建っている。すごい。

先日電話で島の人と話して、死人はでなかったとのこと。よかった。



Laos 投稿者:もこ 投稿日:2015/03/23(Mon) 22:52 No.5607  

2/19~3/19,ラオス記録.
人口600万,面積24万㎢,内陸国.

始発モノにて小倉を出発,2回乗り継ぎを経てpm8首都到着.
空港から市内にタクシーで向かう,道路沿いに屋台,人,商店.
厚く強く濃く熱く,異国の香り.

町中心部,メコン川から徒歩3分、建物の背丈は低い.
至る所にカラフルなワット(寺),敷地内は謎の像・集まる人々・オレンジの袈裟の僧.
観光客の大半は北か南に動くらしい、地図で当たりを付け東を目指す.

写真:ワット入口.色合いは大体こんな感じ.文字が可愛い



Re: Laos もこ - 2015/03/23(Mon) 23:08 No.5608  

バス,トゥクトゥクを乗り継ぎ何となく目指してみた村に辿り着く.
中途半端田舎?なフォンカム村.
住民の移動手段はバイク, 50mでも歩く人はほとんどおらず,走る人皆無.
赤土で, 水牛・鶏・ヤギ・豚・牛が徘徊.
絶賛酷暑期 農閑期, 昼の気温は40℃超、多分農家の村人は話し食べ寝,話し食べ寝る.
家は立派な塀で囲われたコンクリのと,竹・木製のが半々くらい、建て替えが進んでいそうな感じ.
竹の家でも,室内ではスマホが充電されている違和感.
子供がたくさん,近所の子同士が集まって毎日遊ぶ,遊びが雑.



Re: Laos もこ - 2015/03/23(Mon) 23:23 No.5609  

ラオスのフォーマルな挨拶は胸の前で手を合わせsabaidee.
朝昼晩,オールマイティに使用可能.
日常の挨拶はキンカオラボ? 返答はキンレオ 或いは ニャン
ご飯食べた? ― 終わったよ / まだ
食事の有無と食べた物を気にかける.

主食はもち米.朝炊いたものをティップカオ、竹の籠に入れてその日食べる.
もち米を手に取り軽く丸め,おかずを取り,辛いペーストを付け頂く.

キンビア! 飲み会は昼でも夕方でも.
通りすがりを呼び止めて乾杯.
ラオスのビールはbeerlao,唯一の自国産業らしい,豪快に瓶開けて氷たくさん.
年配男性はラオラーオ,ラオスの地酒で度数50超え.
コップ一つを使って順に一気飲み,甘味がすごい濃いえげつない.



広島さんぽ 投稿者:きぞく 投稿日:2015/03/23(Mon) 11:09 No.5604  

3月5・6日に広島で行動科学学会のウィンターカンファレンスというこぢんまりした学会に参加したあと、つる子と広島の街をお散歩しました。
学会会場の宮島から広島までJRで帰る途中に、ふと思いついて、横川で途中下車して十日市のヲルガン座へ。前に行ってから3年以上たちますが、1階が「十日市アパート」というカフェになっていました。ヲルガン座は、夕方からの営業ということで、1階のカフェでランチを食べることにしました。「天井が低くて狭いところをくぐって入るようになりますが大丈夫ですか?」と心配されながら2階席へご案内いただきました。「むしろ、そういう席が良いです」といいながら靴を脱いで2階へ。2階というより舞台の上のような雰囲気。しゃがんでズンズン進むと、こたつが2つ。奥のこたつに陣取ります。
店員さんは、したから声をかけてくれますし、注文したものもしたから届きますので、バルコニー席という感じ。他にも、半地下みたいな席とかあって、次はあそこに座りたいなと思いました。こういう、座るだけで楽しくなってしまう感じが、良いなと思いました。

写真は、メニューを見てニヤニヤするつる子。



Re: 広島さんぽ きぞく - 2015/03/23(Mon) 11:22 No.5606  

十日市アパートのHPも素敵です。
http://tokaichi-apartment.tumblr.com/



島に行ってきた 投稿者:きのこ 投稿日:2015/03/22(Sun) 18:26 No.5597  

3月14〜15日まで、鵜島に滞在した。
昨年、調査・執筆参加した『鵜島風土記』がこのたび冊子になったということと、15日に鵜島初のサイクリングイベントをやるということでお誘いを受けた。

13日の夜に小倉をフェリーで出航。翌朝5時に松山に着いた。6時に道後温泉で温泉に入った。今回は温泉が開くのを待っていたおばさんといっしょに「椿の湯」に行ってみた。ちなみに、そのおばさんは、若い頃京都の四条河原町で「髪結い」の修行をしていて、そのころ湯川秀樹博士の奥さんがそのお店の常連さんでよく来ていたことを覚えているという話をしてくれた。現在、短髪にパーマの颯爽としたおばさんは、実際の年齢よりお若く見える方で、旅が好きでいろいろまわっているとのこと。毎日道後温泉の一番風呂に通っているというから、また行けば再会できると思う。

松山から今治まで電車に乗って向かった。沿道の菜の花がきれいだった。

今治駅で自転車を借りて、大島まで行くことにした。今治からは来島大橋を渡ってひとつめの島が大島である。



Re: 島に行ってきた きのこ - 2015/03/22(Sun) 18:27 No.5598  

橋は大島の南側に接続している。目指す鵜島へは、まず大島の北側にある集落・宮窪に向かわなければならない。宮窪港から渡船が出ていて鵜島に行くことができる。

大橋の上からは、大小の島々を見ることができる。海の透明度は高く、海藻が繁っているのがよくわかる。

今治から大島の宮窪までは、自転車でだいたい2時間ぐらいだった。



Re: 島に行ってきた きのこ - 2015/03/22(Sun) 18:29 No.5599  

宮窪では鵜島行の渡船が出る時間までに、畠山さんを訪ねた。畠山さんは東北出身の女性で海外暮らしもしていたことがあるが、瀬戸内海にはまったく血縁も地縁もなく、しかしながら土地の居心地の良さが気に入って、古民家を購入、改修をしながら現在3年目に至っている人である。前回見たときから古民家のようすはかなり変わっていた。もうちょっとで完成とのこと。土蔵の中は、すっかり土蔵ではなく、暖炉があって、壁には絵画がかけられ、ヨーロッパの古い調度品がところどころに置かれた和洋折衷の畠山スタイルとなっていた。畠山さんはクレーやマティス、それからクラシック音楽をこよなく愛する人である。いまは竹藪となっている家の裏は、ゆくゆくはクヌギの森にしたいと語る。

鵜島に着いた翌朝、サイクリング参加者たちのためのお昼ご飯づくりを島の女の人たちとする。準備するのは、「島でとれたもの弁当」と「鵜島汁」。名前の通り、だいたい島でとれたものでできている。厳密にいうと、プチトマトとゆで卵にした卵だけ、対岸の宮窪から調達したものであるとのこと。それ以外は、すべて島産の食材。



Re: 島に行ってきた きのこ - 2015/03/22(Sun) 18:30 No.5600  

島弁当のメニューは、3種のおにぎり(わかめおにぎり、白おにぎり、しょうゆごはんおにぎり(炊き込みご飯のことで、大豆が入っているのが特徴、味は薄味))、エギス豆腐、ゆでブロッコリーとほうれん草のだいだい味噌のせ、ゆで卵、プチトマト、レタス、だいこんの漬物、2種のみかん(島ネーブルとデコポン)。

みんなで100食を準備した。



Re: 島に行ってきた きのこ - 2015/03/22(Sun) 18:31 No.5601  

エギス豆腐というのは、このあたりのハレの日の郷土料理。今治あたりではイギスというけれども、鵜島の人の発音はエギスにちかい。エギスは海藻の名前で、大豆を粉砕したものと一緒に炊くと、溶けてしまうという特徴がある。それに茹でた小エビや野菜のきざんだものを混ぜて置いておくと羊羹のように固まる。それがエギス豆腐。小エビからダシが出ていておいしい。昔はあまり野菜などは入れなかったと、おばばたちがいう。

鵜島汁は、島の野菜とイノシシをふんだんに入れた豚汁のようなもの。味噌は宮窪で醸造されている「水軍味噌」が用意されていたけれども、結局鵜島のみつえさんが「おいしいから」と自分の家から手づくりの味噌を持って来てくれた。たしかにみつえさんの味噌は香りがよい。味は甘め。さいごに新鮮な採りたてワカメを入れて、鵜島汁は完成。



Re: 島に行ってきた きのこ - 2015/03/22(Sun) 18:33 No.5602  

サイクリング参加者は、今治や宮窪の人たちが多かった。松山の人もいた。ゆくゆくは県外からもひとが立ち寄ってくれればと考えている。「鵜島を無人島にはしたくない」が、このような一連の活動に関わるみんなの目的。現在、鵜島の人口は27名。海で飼っているアヒルが5羽。

船着き場には「鵜島カフェ」ができた。待合所を改築したもの。
ピンクの外装(!)。土日に開店中。島の女の人たちが交替で店に立っていて、せっせとサイフォンでコーヒーを淹れる。自家製の甘酒やはちみつレモンも人気。



Re: 島に行ってきた きのこ - 2015/03/22(Sun) 18:34 No.5603  

そこでしか味わえない食べものや、会えない人がいるというのが、人が旅に出る理由だと思う。そうすると、「どこでも食べられて、会いたい人にどこでも会える」を目指してきた近代的なワールドには、旅に出る理由がなくなってしまう。地域に魅力的になれ、魅力をアピールせよ、と地域(町)おこしはいう。でも、本当は急速に旅に出る理由を失いつつあるひとびとの側に、世界がどんどん面白くなくなっていく問題がある。



ミッションコンプリート 投稿者:海坊主 投稿日:2015/03/21(Sat) 00:10 No.5596  

ミッションコンプリート



那覇の街 投稿者:海ぼうず 投稿日:2015/03/13(Fri) 19:03 No.5587  

那覇の街を歩く。戦後がどんどん消えていく。



Re: 那覇の街 海ぼうず - 2015/03/13(Fri) 19:04 No.5588  

コーフィーカフェの入口。コーフィーカフェ・・・・めしごはん、みたいな・・・ネーミング。

大學堂もこんな感じにしてはどう?



やんばる旅 投稿者:海ぼうず 投稿日:2015/02/17(Tue) 20:48 No.5520  

■旅のはじめは佐喜眞美術館。
http://sakima.jp/

普天間米軍基地を飛び立つヘリの爆音が消えると、部屋の中にはふたたび静寂がもどった。丸木位里・丸木俊が描いた「沖縄戦の図」に向き合いながら、椅子に座る。目の前にいるのは、炎にまかれ逃げまどう女、妻の首にカミソリを当てる男、おばあ、おじい、こども、赤ん坊。等身大の人々の姿。

ゲームやマンガで残虐な殺戮シーンにすっかり慣れてしまっているイマドキの若い人々にとって、この絵はどんなふうにうつるのだろうか。気持ち悪い?見たくない?沖縄では戦争の語りは、すでに日常化していて、もうわかってる、やめてくれという気持ちなのだろうか。それとも、あまりに身近すぎて、やはり見ることができないのだろうか。

沖縄出身の学生たちがまず部屋をはなれ、ほかの学生たちも部屋をはなれ、いつのまにか私ひとりが残された。

佐喜眞道夫館長は語った。丸木夫妻は、戦争の残虐さというよりは、人間の尊厳を描いているのだと。絵の中には敵も兵隊もいない。あたりまえに日常を生きてきたふつうの人しかいない。生きている人もすでに死んでしまった人も、ひとりひとりの命の尊厳が丁寧に描かれているのだと語った。

佐喜眞美術館の屋上からは、70年たった今も続く戦争の姿を見ることができる。「かっこいい」戦闘機が爆音を上げて飛んでいく。しらずしらずのうちに私たちは「命」をまるでゲームのコマのひとつのように考えるようになっていないだろうか。

ひとりひとりの人間よりも国家が大切だと主張する人たちの事を思う。ひとりの人生と、国家の威信を比べてみる。国家への忠誠を誇る人も、所詮ひとりの弱い人間にすぎない。そんな暴力におびえる人々が、自分たちの正義と守るべき国家をよりどころにして、より弱いものへ暴力を容認する。この構造について考える。



Re: やんばる旅 海ぼうず - 2015/02/17(Tue) 20:49 No.5521  

■コザ十字路に向かった
沖縄市。コザという地名を聞けば、ある世代より上の人たちは、ベトナム戦争の時代のコザ騒動を思い浮かべるだろう。沖縄の中で、もっとも雑多で危険な街。しかし中心街の胡屋地区をはじめ、コザの十字路にある銀天街も、今ではそんな気配すらない。

これはゴヤ騒動の風評のためでも、ベトナム戦争が終わり米兵の数が減ったためでもない。もちろんそうした影響もすこしはあるだろう、しかしもっと大きな原因は、2000年の大店法の撤廃である。皮肉なことに、これはアメリカの外圧による政策転換だった。そしてこの大店法の撤廃は、いまも日本中の中心市街地を衰退させている元凶である。

そんな空洞化のもっとも典型的な現象が沖縄で進行しているのだ。戦争で焦土と化し、公共交通のインフラが貧弱だった沖縄では、生活のアメリカ化とともに車社会が進み、建設ラッシュで毎年のように新しく作られるショッピングモールに人々は集まる。

コザ銀天街のアーケードはまるで廃墟のようなさびれようだ。しかし、よく見ると、なにか新しいことが中で起きはじめている。小さな店が開き、若い人が住み始めているのだ。そう、ちょっと面白いことが始まっている。それは、リノベーションなどという、この頃はやりのおしゃれで気取ったムーブメントではない。むしろ九龍城のような、いや、まるで秘密基地のような、路地裏の密やかな楽しみである。この1月にコザ十字路に現れた琉球絵巻の巨大壁画がその象徴である。

数年前にリヤカーを引いた平良さんが旦過市場の大學堂を訪れ、その後、私もコザを訪ね、さらに、小倉から沖縄に移住した山口さんがこの銀天街に住み始め、コザの人たちとのつながりができた。

銀天街の高田爬虫類研究所沖縄分室 Dinodonは、むしろこの街にふさわしい。一緒に訪ねた魚部メンバーは興奮することしきりだった。銀天大学での宴会が始まると、つぎつぎに地域の人たちが集まってきた。

いつの時代でも文化というのは、ショッピングモールやファミリーレストランからではなく、こんな街の隙間から生まれるのだ。



Re: やんばる旅 海ぼうず - 2015/02/18(Wed) 09:09 No.5522  

■大国林道から奥間川へ

名護を抜け大国林道の南はしから、いよいよヤンバルに入る。マングースの侵入を防ぐために道の入り口にはゲートがつけられ、手で開け閉めしなければならない。林道をはしりだしてすぐに「イボイモリ横断注意」の看板があった。魚部メンバーが色めきだつ。

大国林道は、やんばるの背骨を貫くように南北に走っている。海岸には整備された道があるために、林道はほとんど車も走らない。ときおり見かける車は「やんばるマングースバスターズ(YMB)」のものばかりだ。

こんな林道がなぜ必要だったのか、どんな経緯で開通したのか詳しくは知らないが、本土復帰後の1977年に工事が進められ1994年に開通。1996年には住民監査請求の大国林道開設訴訟も起きている。

実際、道の至る所で土砂崩れが起きているのを見た。台風や梅雨の大雨のたびに、保水力が貧弱な国頭マージの赤土の表層は、弱いところから崩れ落ちる。そのつど工事をし、手を入れているようだが、とても無残だ。尾根筋の崖にナイフを入れたように敷設されたこの林道は、下流域への影響も大きいだろう。道路脇にずっと続くU字側溝も小動物には致命的な障害物だろう。

そしてヤンバルの森の植生は、思ったより貧弱で、熱帯雨林のジャングルというイメージからはほど遠かった。九州の照葉樹林よりも樹高が低い。これまでいったことのある奄美大島や西表島の森ともずいぶん違う。昔から人の手が入っているためだろうか、急斜面と栄養のない赤土土壌のためだろうか。

それでも35.5kmにもおよぶ林道の周囲には広大な森林がひろがる。右手の東半分は米軍の北部訓練場である。道の脇にはきれいな小川が幾筋も流れ込んでいる。車を止めて沢から森に入る。沖縄も厳冬期、シリケンイモリはちらほらみかけるが、おめあてのイボイモリはみつからない。落ち葉の下でじっとしているのだろうか。

写真は相手をまちがえたままシリケンイモリに夢中でハグしているリュウキュアカガエル。



Re: やんばる旅 海ぼうず - 2015/02/18(Wed) 09:10 No.5523  

道は少しずつ高度を上げ、与那原岳までわずかな所まできたが、昼食と夜の買い出しのために、いったん奥間にある道の駅「ゆいゆい国頭」におりてきた。

奥間川での昔の生活を描いた「清流に育まれて」という冊子をさがした。役場や図書館でも見つからず、著者の親川栄さんを紹介していただき、お話しを聞きに行く。

とくに興味があったのは、これから行くユルヂ開墾地についてだ。ヤンバルの山の奥で人々がどんなふうに暮らしていたのか。ヤンバルというのは地域の人にとってどんな場所だったのか、そんな話をうかがった。

ユルヂ開墾地は与那覇岳の中腹に位置する奥間川の上流域に開かれていた。かつては十数軒の家が建ち、畑も作られていたが、今はすべて森の中に消え、その痕跡をわずかに残すばかりである。

村の周りにはクスノキが植えられ、国策としての樟脳生産の拠点となっていたが、台湾から安価な樟脳が入るようになりやがて衰退する。炭焼きや藍の生産もおこなわれていた。豚も飼っていた。今でも豚便所(フール)の遺跡が住居跡のとなりに見つかる。こどもたちは、ここから3時かかけて海岸部の小学校まで通っていたらしい。

かつてのユルヂでの暮らしを経験した人々が、いまも奥間にすんでいる。親川さんが興味を持っているのは、山の地主と雇い人との関係。どういう契約で彼らが山に入ったのかそんな資料を探しているという。

人々が去った後、清流、奥間川にもダムが造られる計画が持ち上がった。幸い計画は中止され美しい環境はのこされたが、人の生活を包み込んでいた豊かな森が、コンクリートのダム一つで破壊される。どこかで聞いたような話がここにもあった。

親川さん自身も地主のひとりだ。いまでも休みの日は山に通う。ユルヂの近くにとても気持ちの良い場所があり、そこに二畳ほどの板をしいて、半日座禅を組むという。なんだかステキだ。わたしもそういうのがいい。バードウオッチャーは双眼鏡を持ち一生懸命に鳥をさがそうとするが、そんなことをしなくてもただ座っているだけで、鳥たちはやってくるし、さまざまな森の生き物の気配を感じることができるという。

買い出しをお願いしたまま、待たせていたほかのメンバーと、やんばる野生生物保護センター「ウフギー自然館」で合流する。環境省がつくったこぎれいな学習施設だ。そこに次々とマングースバスターズたちが帰ってくる。バスターズは森の中にこんなにいたのかとおどろく。

マングースの駆除は一定の効果を上げているらしいが、人が放したマングースを駆除するのは大変な作業だ。一度壊した自然を回復するためには莫大な費用がかかる。どういうわけか経済というものは、何かを作るところまでは意識されるが、それをやめ、もとに戻すところまでの面倒はみないようだ。
http://kyushu.env.go.jp/naha/wildlife/data/gairai/boujyo/130425a.html

さて、いよいよ、ヤンバルの森の中に入る。楽しみである。



Re: やんばる旅 海ぼうず - 2015/02/19(Thu) 08:57 No.5524  

■ヤンバルの森・夜
ユルヂ開墾地にはいる山道はすぐに見つかった。周りは樹木に覆われ、すきまから光が漏れてくる。森の中にいる感覚がなんとも心地よい。二又の沢が合流するちょっとした窪地にテントを張る。琉球大学のワンゲルの山小屋のちかくである。

わたしはこの時とばかりに自分用のヘネシーハンモックをつるす。このあと寝るときになってわかったのだが、沖縄では定番である蚊帳仕様のヘネシーハンモックとアライテントのカヤライズも、この時期にはちょっと寒すぎて不向きであった。

薪を集め、沢の水をくみ、夕食の準備にとりかかる。鳥が飛び交い、蛙の鳴き声がする。藪の中でがさがさ音がする。すぐ近くの木に真っ黒な大型のキツツキがとまる。ノグチゲラだ。こんなに簡単に見られるとは思わなかった。白黒模様のコゲラもやってくる。

森の枯れ木はずいぶん湿っており、たき火を起こすのに手間どった。真冬の夜は沖縄とは思えない寒さだ。道の駅では肉類が調達できなかったために、もっぱら野菜中心のベジタリアンな夕食が始まった。

日暮れ時に、テントの近くでカッカッカッというけたたましい鳴き声が聞こえる。あとで知ったがこれはヤンバルクイナの鳴き声だった。木の上の寝床にもどってきたのだろうか。近くだったので静かにのぞいてみれば良かった。

たき火を囲んで魚部と野研との交流が始まる。2日分くらいと考えていた泡盛「まるた」の一升瓶がどんどんへっていく。おなかも満たされ、ちょっと蛋白質系のつまみもほしいなというところで、魚部がギョブスーツを着用して沢に出動する。さすが魚部である。てなれた網捌きでテナガエビやモズクガニを捕獲する。野研はそれを串に刺して炭焼きする係だ。

かつてこの山に住んでいた人も、こうして山の恵みを口にすることがあったに違いない。

そんなこんなで森の夜を楽しんでいると、上の方からライトの明かりが近づいてくる。10時近くになってゲッチョ先生こと盛口満さんが登場した。さすが森の達人である。すでに食べ物の残りもわずかだったが、ゆでたてのモズクガニを提供し乾杯をする。結局「まるた」は一晩であいてしまった。



Re: やんばる旅 海ぼうず - 2015/02/19(Thu) 08:58 No.5525  

■ヤンバルの森・朝

翌朝は、ユルヂの近くの散策からはじまった。沢の淵にオキナワオオミズスマシが群れている。目が回りそうな早さだ。そして大きい。刺激するとフルーツのような甘い匂いをだす。冬とは言えあたたかな沖縄の水の中には、水生昆虫たちがうごめいている。

ゲッチョ先生が落ち葉を探りゴマガイをみつける。老眼のわたしには小さすぎて見えない。自然観察の醍醐味は、よく知っている人と一緒に歩くことだ。しかしうっかりしていて、前から気になっていた巨大ドングリのありかについて聞いておくのを忘れてしまった。残念である。また次の機会に尋ねてみよう。

藪の中をよく見ると、炭焼き窯や畑の石積みなどかつて人が住んでいた跡が残っている。ほとんどのものは朽ちたり土に埋もれてしまっているが、陶器の破片だけは腐葉土の中で白々とよく目立つ。森の生活はどんなものだったのだろう。湿気や蚊は不快ではなかっただろうか。

ソロモンやバヌアツの熱帯雨林での暮らしを思い出す。森の音を聞き、森の匂いをかぎながら、その片隅に焼き畑を焼いて暮らす人間の暮らし。そんな自然との共存と緊張関係は、すべての自然を引っぺがした上に作り上げた、単調な街での暮らしとはずいぶん違う。

林道にあがり、与那覇岳への入り口に移動して、登山道を歩き、さらにちいさな沢を遡上する。ここは奥間川の源流だ。探しものは、そろそろ出ているかもしれない冬虫夏草。沢筋を歩くのは気持ちが良い。

そしてここにも炭焼き窯の跡があった。陶片もたくさん落ちている。ヤンバルは原生林ではなくて人の手がはいった里山だったのだ。琉球王朝の交易をささえた、やんばる船は木材を首里に運んでいた。奥深い山ではあるが、人々の生活と密着した森だったのだ。

沢の周辺を歩き、山の中でゲッチョ先生と別れる。ゲッチョ先生は那覇に戻りこれから東京へ。私たちはさらに北上し奥集落へ。

せっかくここまで来たのだから、もうすこし森の中を迷う時間がほしかったが、夕方までに奥にいくという約束がある。時間に追われながらのスケジュールは自然観察には向かない。あらかじめ予定を決めずに、心地よい場所をみつけ、そこにテントを張り、いたいだけいるのが私が好きなスタイルだ。しかし、今回は人も多く、それぞれの都合も気にしなければならない、それにはじめてのヤンバルで、まだいってみたい場所が残っている。先に進もう。

車に乗って大国林道をさらに北にむかう。冬のヤンバルの稜線は、葉を落とした木々の幹がまるで白骨のように続いているのが印象的だった。



Re: やんばる旅 きぞく - 2015/02/20(Fri) 00:09 No.5526  

2月11日(水)から15日(日)までの沖縄行き。コザの壁画とヤンバルの森と高江と辺野古の座り込み。
空港に着くと、確かにみたことある女性が笑顔でこちらにやってくる。ヒロノの友達だという彼女。確かに知っている・・・でもヒロノの友達で私が会ったことある人って?
なんと彼女は大學堂のお客さん。たまたま大學堂に立ち寄って気に入って下さってしばらくお話ししたのでした。沖縄に帰った彼女は、職場の同僚が北九大の出身だったことを思い出し、大學堂の話をしたそうです。その同僚がヒロノだったというわけです。世間はせまいセマイ。

コザに行く前に佐喜眞美術館に寄ります。佐喜眞美術館は普天間基地に隣接する美術館。丸木位里・丸木俊の「沖縄戦の図」が常設されています。こどもや老人の手に握られている小さな配給のおにぎり。死に装束のための晴れ着を持って逃げる人々。きれいな晴れ着を掛けられている倒れた人。

コザ十字路には170mの壁画。はじめてのコザ銀天街では、銀天大学を作る作業が進んでいました。壁も家具もおしゃれな雰囲気。安定感のあるベンチを見つけて採寸。

ここまでの下書きをモタモタとしているうちに、うみぼの報告があがってしまいました。同じ場所で、同じ時間を過ごしていても、見えているものはそれぞれ違います。はじめから見ることを拒否するような人にイライラするのは、見たい見たいと思って見よう見ようとしても、ぼんやりと見逃してしまう自分にイライラすることの裏返しだということは、どこかの心理学者にしたり顔で解釈されるまでもないことです。
うみぼの報告を読みながら、なるほど、自分の旅はこういうものであったかと思いました。

同じ朝に同じところにいてゲッチョ先生はどこからともなくイボイボナメクジを見つけてきます。なるほど、これがイボイボナメクジであるかと思い写真を撮ります。



Re: やんばる旅 きぞく - 2015/02/20(Fri) 08:27 No.5527  

林道を運転していると、「ヤンバルクイナ注意」の看板がやたらと目につきます。ヤンバルクイナがいつ飛び出してきてもいいように、道の両脇に意識を向けます。黒い影がチョンチョンとはねるとハッとしますが、次の瞬間、その影がパタパタと羽ばたくのでガッカリします。ヤンバルクイナは飛べない鳥なので、飛ぶ鳥はヤンバルクイナではないのです。鳥たちは、ヤンバルクイナではないという理由で、ガッカリされたり「なーんだ」と言われたりします。きれいで愛らしい鳥なのに。それでもやはり道路脇からチョンチョンと出てきて、パタパタパタと車の前を横切ります。それに対して、紛らわしいと腹を立てるのも、かわいいと心を和ませるのも、サービス精神旺盛だなと感心するのも人間の勝手な思いこみです。彼らはただ、彼らの都合でチョンチョン、パタパタパタとやっているだけです。



Re: やんばる旅 きぞく - 2015/02/20(Fri) 08:28 No.5528  

もう一つ、よく見かけるのがマングースバスターズの車と彼らが仕掛けた罠。マングースバスターズの効果は上がっているそうですが、元々、沖縄に持ち込まれたマングースは、島の南部に17匹だけだったとか。それが増えに増えて北部の森の動物たちの生活を脅かしているのです。バスターズのお仕事はまだまだ終わりそうにありません。



Re: やんばる旅 きぞく - 2015/02/20(Fri) 08:46 No.5529  

ヤンバルの森に点在するヘリパッド。既存のヘリパッドでは、既にオスプレイも発着しているのだとか。それなら、なぜ人が住んでいるところのそばに、新しいヘリパッドが必要なのでしょうか。人が住んでいるところを攻撃する訓練をするためでしょうか。旋回するヘリから、私たちはどう見えているのでしょうか。
“アメリカ軍は日本語が話せない”というフレーズを何度か聞きました。彼らにとっては高江も辺野古もどこでも米軍の基地は、当然自分のもので、当然自分の場所なので、そこで生活している人の言葉を覚えることは当然必要ないのでしょう。



Re: やんばる旅 きぞく - 2015/02/20(Fri) 08:48 No.5530  

ALSOKの人に守られたキャンプ・シュワブのゲート。外には、沖縄の海を守るために命がけの覚悟で座り込みをする人達。中には「どろんこ障害物レースの参加者募集」の看板。



Re: やんばる旅 海ぼうず - 2015/02/21(Sat) 13:52 No.5532  

つい先日、泊めていただいたばかりの、高江からの今日のニュース。非暴力の人々にたいして一方的に暴力をくりかえす。小さな場所や弱い場所から見せしめにする。そうしてじわじわとこの暴力は私たちの日常に広がる。人権を踏みにじる卑怯な国を批判し嗤う人たちよ、自分の国の時はなにをしても許すのだろうか。先日の高江の報告はまだ書いていないけど、緊急のことでもあるので先に書いておく。

高江N4、やられました。のテント、バリケード一切が夜中から早朝にかけてなくなりました。撤去なのか、盗難なのか。辺野古のテントも撤去を迫られているし、国のすべての機関が反対の声を封殺する方向に使われている。
高江現地の恐怖を考えると胸が詰まる。



Re: やんばる旅 きのこ - 2015/02/22(Sun) 03:28 No.5539  

やんばる、山原、山原バンバン。
どんなふうに緑深いところなのだろうか、どんなふうに生き物の息づかいを感じられるところなのだろうか。私のやんばるのイメージは、ちょっと湿度が高くて、たくさんの虫や小さな生物が絶えず活動している、そのためにいつも森全体が低周波で震動している、そして緑は滴るように空を覆っている、そんな感じ。



Re: やんばる旅 きのこ - 2015/02/22(Sun) 03:29 No.5540  

実際には、立ち枯れている木が多くてけっこう見通しがいい、歩くときに見る風景を構成する緑の大部分ははヘゴや羊歯によるもので、大木は少ない。



Re: やんばる旅 きのこ - 2015/02/22(Sun) 03:30 No.5541  

やんばるを抜けてたどり着いた沖縄最北端、奥の集落。港の向こうには沖永良部島がある。集落の南側には山が迫り、今でも山の中にはひっそりと「ししがき」が残る。かつて集落の人たちが石を積んで作ったものだ。石の垣根。こっち側は人の領分で、あっち側は獣の領分。



Re: やんばる旅 きのこ - 2015/02/22(Sun) 03:32 No.5542  

遺構だけ残るユルヂ開墾地。人々が暮らしていたことを示す物質、容易に土に還らないものだけが地上に点在する。いわく、石の壁、陶器のかけら。もう人の領分は失われて久しい。

東村の高江集落周辺。米軍のヘリパッドが点在する。100人ほどの小さな集落を取り囲むように。森を切り取って造成した空地と側溝。英字が書かれた携帯食のビニルがところどころに落ちている。基地ゲートの前。フェンスが張り巡らされている。こっち側は日常の人の領分で、あっち側は戦闘訓練の領分。境界線のこっち側、テントは日常を返せという人々の意思を示すために、そこにある。



Re: やんばる旅 きのこ - 2015/02/22(Sun) 03:33 No.5543  

生き物たちの呼吸を聞く。いまここに共在するさまざまな“隣人”を感じること。

歩いて、見て、触って、知る。魚部の面々とゲッチョ先生と歩くと、ひとりでは気づかなかったであろう小さな隣人を知ることができた。吹いたら飛びそうなちいさな紙屑のような塊を示して「キノボリホタテグモの元巣」というゲッチョ先生。

歩いて、見て、触って、知る、そして私たちは食べる!魚部がとってきたテナガエビやヤマトヌマエビ、モズクガニ。冷たい風が吹き上がってくる沢の横、焚火を囲んでみんなで食べた。とてもおいしかった。



Re: やんばる旅 きのこ - 2015/02/22(Sun) 03:34 No.5544  

オーシッタイで養蜂を営むときわさんは、ミツバチの気持ちで山々をめぐる。今咲いているのはサシグサ、ナバナ。これから、蜜柑、タンカン、イジュ、ハマセンダン、アサグラと続く。古宇利島にも巣箱を置いている。巣箱は13こ。島の環境と群のバランスを考える。宇宙船島嶼号においては、常に持続可能なシステムを意識しなければならない。



Re: やんばる旅 きのこ - 2015/02/22(Sun) 04:03 No.5545  

「自分だとは気づかないほんとうの自分は、誰のところに行って生まれ替るのか。自分の生まれ替りのどこかの誰かとは、一生のうちにどのように相逢うことが出来るのか。それは今までに逢ったうちの誰なんだろう。もどかしいようななつかしいような、せつなくなって躰を起し、あたりを見渡せば、木立ちの裾を燃え立たせながらあかあかと彼岸花の群生が山畑の拓きの縁を経めぐり林の奥に綴れ入っている。いのちの精が炎え立っているようで、わたしは“あのひとたち”の気配とまじわりながら、草の穂などを噛んでいるのだが、山童の姿などはやはり見えないのであった」石牟礼道子『椿の海の記』2013、河出書房新社

水俣の海と山とそこに暮らす人たちの姿、記憶をとどめようとする石牟礼道子の文章はうつくしい。彼女が愛おしいとおもったものたちは、公害によって無残に傷つけられ殺されてしまった。

公害、原発事故、軍事基地と戦争。構図はすべて同じと指摘される。大きなエネルギーの駆動と暴力、それにともなう小さな暮らしの取り返しのつかない破壊。国民国家が誕生して以来、今もって解決できていない、むしろ暴走は加速しているという絶望を感じる。しかしひとつの問題の解決は、すべての問題の解決になるかもしれないという希望はある。



Re: やんばる旅 海ぼうず - 2015/02/22(Sun) 07:20 No.5547  

同じ場所で、同じ時間を過ごしていても、見えているものはそれぞれ違います。それが報告の意味です。化石博物館の出発の前になんとか「奥」篇をかきました。みんながみた奥と同じかな?ちがうかな?

今までのやんばる旅のシリーズをブログにまとめたよ。
写真をたくさん載せたよ。
http://guroku.blogspot.jp/2015/02/blog-post_22.html
その7は、奥集落と護国神社について。
高江ヘリパットとミツバチの、あと2回書いて終了の予定だよ。



Re: やんばる旅 海ぼうず - 2015/02/22(Sun) 07:22 No.5548  


沖縄本島の最北端の村、奥。旅も3日目、そろそろシャワーをほしくなるメンバーもいるだろうと考え、琉球大学の研修施設「奥の山荘」を借りた。山荘とあるし名前から見て森の奥のコテージ風の建物を勝手に想像していたが、農道を迷いながらたどり着いた「奥の山荘」は、あたり一面畑の広場のどまんなかにぽつんと建っていた。

きけば元中学校を再利用しているらしい。広場はかつての運動場だ。今はもう廃校になり集落には中学校はない。ここは奥集落の開拓地で、直前までいたヤンバルの森とは全く違った明るくて乾いた雰囲気だ。サトウキビ畑や茶畑が広がる。人の手でこの台地の上を切り開いていくのは、さぞかし大変なことだっただろう。そんなことを考えると同時に、複雑で多様な森の姿が一変してしまっていることにあらためて驚く。いまの畑の様子から開墾する前の森の姿を想像するのは難しい。

翌日、元区長の島田隆久さんに、集落を取り囲むように作られた猪垣を案内してもらった。島田さんは冗談めかせて万里の長城といっていたが、畑にイノシシが入らないように作られた、森と人里のバウンダリーである。じっさい険しい谷道にまで土を盛り石を積んでいく大変な作業である。

石積みは、家ごとにそれぞれの担当場所が割り当てられ、その家の経済状況によって、土を使ったり丸太を使ったり石を積んだりしながらつなげていったという。台風などで崩れたら、崩れた場所の家の責任。フリーライダーや無責任さによって、共有地の悲劇がおこらないように、共同体と個人との役割を明確にして管理をすすめる、巧みなシステムだとおもった。

奥集落は琉球王府の時代から、戦前そして戦後まで、交易の拠点としての役割を担っていた。海の向こうには与論島が見える。奄美と琉球を結ぶ主要な港で、森から切り出した材木をやんばる船が首里に運んだ。戦後はいち早く日本に復帰した鹿児島の島々との間で密貿易の拠点となる。

ほかの集落がカヤ葺きだった時代に奥にはカワラ家がならび、設置されてからすでに100年を越える奥の共同売店は、かつては商店だけではなく教育資金の援助や金融機能ももっていたという。

奥に車が通れる道路が開通したのは戦後の1953年のことである。それまでここにはある種の自治が成り立っており、奥王国とも呼ばれていたようだ。

他の地域の人たちを受け入れないほどの結束力の高い共同体がここにあった。そのかわり集落の決まり事も厳しかったようだ。島田さんは、ルールを逸脱する者には共同体独自の刑罰を課したと語る。たとえば泥棒をした者が住む家には、つぎの違反者が出るまでその旨を示す札をつけられたという。

興味深かったのは、集落の中で案内された護國神社である。護国神社とは明治期に、戦死兵士供養のために建てられた招魂社に起源を持つ比較的新しい神社である。かの靖国神社も、その起源は各地の護国神社と同じ招魂社である。

そもそも御嶽信仰が厚かった沖縄には、今でも本土のような様式の神社はほとんどない。琉球王府が崇拝し今は民間信仰となった神も、天皇家が政治制度として神道が体系化される以前の、最も古い様式をいまにとどめている。

でも、なぜ奥の集落に護国神社が建てられているのだろう。

沖縄には神社らしい神社はないと書いたが、実は那覇の奥武山公園の中に沖縄護国神社がある。これも護国神社だ。日中戦争(太平洋戦争)の最中に、戦死した兵士を祀る場所として、東京の靖国神社とともに道府県ごとの護国神社を建てることが決められた。それはもともと神社がなかった樺太や台湾、朝鮮半島などのいわゆる外地までおよぶ。

こうした国策として建てられた護国神社を指定護国神社という。それあわせるかたちで、全国各地に郷社や村社を母体とした無数の護国神社が建てられた。神道施設である護国神社の役割はより正確いえば供養や弔いではない。遺族の意志とは関係なく兵士を軍神や英霊という言葉を使ってあがめ祀り、戦死を肯定的に評価し、国民の意識を戦争遂行にむけるための政策的施設である。そのため敗戦後、GHQは護国神社を軍国主義施設とみなした。このときに名称を変更したり、セメントで門柱の護国の名を埋められ、もとの郷社や村社に戻った護国神社も多い。

さて、奥集落の護国神社は、私には驚きであった。沖縄戦の前までは沖縄の各地にも、こうした護国神社がつくられていたと思うが、沖縄で今残っている護国神社はほとんどない。少なくとも私は知る範囲では沖縄護国神社以外ひとつもない。

ところで以前よりうっすらと感じていたことがある。それは悲惨な沖縄戦を経験した沖縄本島の人たちの戦争に対する意識と、直接の戦場にならなかった宮古島や与那国島などの先島の人々の意識は、同じ沖縄県の中でも少し違うのではないかということだ。

明治維新のどさくさに国を奪われ最終的に琉球処分によって日本に併合された沖縄であるが、そうした不安定なアイデンティティのなかで、明治から昭和の初めにかけて、沖縄の人々は本土以上に国粋主義的な風土を強めていたのではないかという印象をもっている。

一般的に攻撃的な排外主義や忠国などの国粋主義的な思想は、自分のアイデンティティに不安をもつ人ほど強くなりやすい。なにかのコンプレックスや自信のなさの裏返しから、既存の権威に帰属を求めるためである。自分たちは日本人なのか沖縄人なのか。今に続くそうした沖縄の複雑な県民意識の背景を考えると、沖縄戦の悲劇はより重みを増す。

中部に上陸した米軍は、日本軍が手薄な北部にはほとんど進軍しないまま那覇のある南部を攻略していった。そのため奥などの北部の地域は地上戦を経験せずにすんだ。

そうした意味で、奥集落を見下ろす高台に忠魂碑とともに残る護国神社は、戦前の琉球諸島が経験した複雑な歴史的背景を今に伝える遺産なのかもしれない。



Re: やんばる旅 海ぼうず - 2015/02/25(Wed) 08:02 No.5551  

こちらに戻ってまだ10日もたっていないのに、連日のように高江や辺野古で起きているひどい事件。はやく報告を書きたいと思いながら、現実の方がどんどん進行し、つい成り行きが気になり、そのたびに筆が止まってしまう。そして、ついに昨日高江にヘリが降り立ちヘリパットの運用が始まったというニュースが。



Re: やんばる旅 つるこ - 2015/02/26(Thu) 02:13 No.5553  

那覇空港について誰がなかんだかりか全力でどきどき。ハイタイとイッペーデージヤッサーとアマガミソーレをいうために。しかし突然とてもフレンドリーななかんだかりにびっくりして、飛んでしまった。
Uターンを2回くらいして?佐喜眞美術館へ。
刀を持った兵隊に対して伏している人が小さい喜屋武岬の絵。たぶん大人の男の人のようなのに。威圧感があった。配給のおにぎりはおにぎりだと分からないくらい小さかった。
戦争の絵だけではなくて、版画や絵本の原画も。置いてあった韓国の基地反対のパンフレットはまじめだけどおもしろい。飛行機の上に鍋を抱えたおばちゃんが立っている絵とか。
おひるごはんはタコライスのお店だった。あっちのテーブルにもこっちのテーブルにも外国人っぽい人たちがいる。
はじめてのルートビア。咳のときに薬のにおい。3回飲んだらやみつきになるそうですが。
夜は宴会で、入れ替わり立ち替わり、銀天街のひとやなかんだかりの友達。旅の間じゅう、いろんなひとが来たり帰ったりするのは楽しかった。にんじんの島にも行ってみたい。
やんばるの夜は寒かった。泡盛を飲みながら、野菜を食べた。川が近いってとても便利。ちょうど浸かれるくらいの深さのところもあって、夏だったらなあと思う。昔はここに何人もの人が住んでいたなんて、わくわく。でも家が何軒も建っていたなんて、想像できないなあ。テナガエビは小さいほうと違って苦くなくおいしかった。
生き物や植物の種類はあんまりわからないけど、山のなかは気持ちいい。小さいイモリはあっちこっちにいる。げっちょ先生や魚部は、小さい生き物を見つける。こんなに小さい生き物たちがいるなんて。たぶん手についてたら木くずとかだと思ってしまうかも。
奥の集落について話を聞いた。共同売店はJAみたいなかんじなのかな。貿易ができて豊かで、自治ができていた小さな集落、かっこいい。猪垣は、昔は海までずっと続いていたという。家ごとに担当が決められて、壊れたときには担当の人が直すというのは、集落の一人一人が畑を守っている誇りになっていたのかな。



Re: やんばる旅 つるこ - 2015/02/27(Fri) 12:22 No.5559  

しゃしくまーるにてケーキと紅茶をいただく。はちみつケーキが品切れだったのが残念。はちみつを味見させてもらう。ハーブのようなにおいにびっくり。
ときわさんは相当蜂のための植物に凝っている。財布が見つかって2回目に行ったときには、古宇利島の蜂箱も見せてもらった。強い風から守るために、ぐるっと木で囲んである。青い砂糖と花粉を混ぜて、蜂くんたちのごはんも作る。



Re: やんばる旅 海ぼうず - 2015/03/12(Thu) 20:01 No.5586  

遅くなったけど、高江の報告を書いたよ。大愚録
「ヘリポートと高江・暴力と非暴力(やんばる旅その8)」
http://guroku.blogspot.jp/2015_02_01_archive.html

沖縄から戻って10日もたっていないのに、連日のように高江や辺野古で起きているひどい事件。あの日の報告を書く前に、現実の方がどんどん進行し、成り行きが気になり、つい筆が止まってしまう。

遠くにいるとなかなか解らないかもしれない。むろん沖縄に住んでいても知らないことは多いと思う。その場にいき、そこに泊まり、そこにいる人たちと話をすることで、報道や映像からはなかなか見えてこない、ふつうの人たちの日常と「あたりまえ」の思いを感じた。

高江の人たちも辺野古の人たちも、そこに集まっている人たちは、みな穏やかでとても親切な人ばかりだ。そして平和的で、心から暴力を嫌う人たちだ。報道映像はいつもセンセーショナルなシーンを好んで取り上げたがる。

今、この文章を読んでいる人にも、それぞれいろいろな主義主張はあると思うけれど、非難したり怖がったりする前に、実際に会ってみれば良いと思う。そこに泊まることもできるし、語ることもできる。恐ろしそうな事件ばかりが報道されるが、実際には長い長いあたりまえの日常がある。

基地の歴史も現状もほとんど何も知らないまま、そこにやってきたわたしたちは、いわば野次馬のようなものかもしれない。しかもこんな大変なときに・・・。でも、そんなときだからこそ自分の目で見ること、多くの人の目で目撃することも大切なのではないかと思う。



コーヒー機械修理 投稿者:☆子 投稿日:2015/03/12(Thu) 14:47 No.5585  

J君が来て、コーヒーすりすり器を直してくれました。(コーヒーをすってみたら豆は飛ばなかったです)論文のアドバイスなど頂いたり、五島の宗教の歴史の話などをして、一緒に中落ちを食べましたり。

機械のほうは24時間で乾かす接着剤を使用しているため明日の11時54分まではあまり触らないようにして下さい。

前の試しで金額の間違いが有ったため、今日は「半ばセルフ店長」実施中です。距離感が逆に難しい。なので、のんびりしてる風に見せておいて、頭がフル回転です。
お茶はつがないのに、相手のために歌います。

メジャーで知ってるやつでと先にことわってリクエストするところが大阪の団体さんらしかったです。
なので松田聖子のsweetmemoriesを歌ってみました。大阪にきて歌って欲しいと言ってもらえました。。!別のお客さんからはビギンリクエストが。

うれしいなあ、大學堂より報告でした。



サラワクワクワクday 投稿者:あるぱか 投稿日:2015/03/08(Sun) 02:11 No.5580  

皿枠大学の学生たちと一日遊んだよ。
午前中は藍島を散策。ワクワクさんたちは道草大好き!猫やらおばばさまやらちっちゃな神様やらにどんどん寄り道するよ。



Re: サラワクワクワクday あるぱか - 2015/03/08(Sun) 02:13 No.5581  

夕方小倉に帰って休む間もなく、旦過、魚部基地、大學堂。魚部基地ではみんなキャーキャー騒ぎながらも興味津々。イブに質問の嵐をあびせるよ。



Re: サラワクワクワクday あるぱか - 2015/03/08(Sun) 02:16 No.5582  

最後は大學堂でワクワクワクパーティ。みんなくたくたのはずなのに、☆子に続いて次々と歌いだす。なんて愉快な人たち!



Re: サラワクワクワクday あるぱか - 2015/03/08(Sun) 02:18 No.5583  

どんなにハードな日程でも、ワクワクさん達は楽しむこと、面白がることを忘れない。それがワクワクの心!?



Re: サラワクワクワクday 海ぼうず - 2015/03/09(Mon) 10:16 No.5584  

きのこの藍の島に行っていたの?行くとはきいていなかったけれど・・・・。どういうことかな?


化石博物館 投稿者:きのこ 投稿日:2015/02/26(Thu) 14:45 No.5554  

2月22日、化石博物館に行った。昨年のESD公開講座「海のふしぎ、森のひみつ」のエクスカーションで、みんなで海岸を歩いた。ゲッチョせんせいやあんしんおやじたちと、浜の漂着物に注目しながら散策したのだった。そのときに出会ったのが、くろちゃんこと黒河さん。化石専門。浜歩き専門。

くろちゃんは私設で秘密基地のような化石博物館をつくっている。
実際に歩いて見つけた化石の数々。だから、コレクションは地元に密着したものとなっている。

大型スーパーができる、住宅地ができる。土地が造成される。興味深い発掘物が出る!しかし、機会はほんのちょっとしか与えられない。すぐに埋められてしまう。なにごともなかったかのように、その上にショッピングモールができたり、住宅が建てられたりする。だれも、自分がなかったことにされてしまった大きな化石の上にいるとは知らない。

正規の学校教育も一般的な行政の活動も、一般的な商業的な活動も、すべて、こんなくろちゃん的な知的好奇心のことに関してはなおざりである。くろちゃんは自分で知的好奇心を抱くひとびとと集まり、場をつくり、発掘したり採集したり展示したり研究したりしている。



Re: 化石博物館 きのこ - 2015/02/26(Thu) 14:54 No.5555  

展示室にあった地元産のコハクも興味深かった。
小さな生き物が閉じ込められたものもある。小さいかけらだけども、たしかにコハク。コハクも化石も、目の前にかたちがあるこれらのものは、自分の立っている土地にどーんと垂直に広がる時間のイメージを感じさせるもの。

それから、アオイガイ。
こちらは一転してふわふわと海上を漂うもの。
アオイガイの分布は広い。そしてその生態にはよくわからないことが多い。くろちゃんの研究がいまその一端を解明しようとしている。

浜で採集されたアオイガイのコレクション。
ふしぎな魅力がある。
コンディションのよいものを採集するには、日の出前に歩くこと。カラスよりも先に、そして人間のライバルたちよりも先に。



Re: 化石博物館 きぞく - 2015/03/06(Fri) 19:07 No.5575  

報告がすっかり遅くなりました。
クロちゃんの筑豊化石収蔵庫におじゃましました。
ご自宅に併設されている収蔵庫。エントランスの飛び石もゴロンと転がる庭石も何気なく化石。
天神のソラリアの壁や床にアンモナイトがいるというのはよく知られた話でお買い物ついでに発見しては、ちょっと得した気分になったりしていました。



Re: 化石博物館 きぞく - 2015/03/06(Fri) 21:57 No.5576  

筑豊にたくさんある石炭も元は古代の植物なのだから、化石もたくさんあります、とクロちゃんは当然という顔で説明してくれます。この筑豊は、とてもとても古い時代に、植物が生い茂って、生き物がたくさんいて、恐竜なんかも闊歩していた華やかなころがあったのですね。そして、それが化石に残って、恐竜博士やむし博士、考古学少年たちをワクワクさせているのですね。
でも自分の土地から化石が出てくることを喜ばない人もいます。それが、どんなに世紀の大発見であっても。あるいは、世紀の大発見であればあるほど。



Re: 化石博物館 きぞく - 2015/03/06(Fri) 21:58 No.5577  

クロちゃんの知識の泉は広くて深い。
化石、鉱物、昆虫、生き物の歯、古墳、漂着物、アオイガイ。
そして、技術もすごい。化石をきれいに削り出す技術。レプリカを作る技術。



Re: 化石博物館 きぞく - 2015/03/06(Fri) 21:58 No.5578  

筑豊のもう一つの華やかな時代。
伊藤伝右衛門邸の見学。
雨の中、おひな祭り開催中でたくさんの観光客とともに見学。
広いお座敷の半分が人形の世界になっています。一寸法師や弁慶と牛若丸もいます。御所にはお雛様。お花見の宴会。なんだかすごい。
毎年これを準備するのだから、それはもう、ワクワクするイベントだったんじゃないかと思います。こんなお雛様も自分専用のお座敷に描かれた精緻な蝶も衣装倉いっぱいの衣装も天神の文化人が集まるサロンも別府の別荘も、全部ぜーんぶ集めても社会運動に傾倒する文学青年の魅力にはかなわないというのだから、恐るべし文学青年。



Re: 化石博物館 きぞく - 2015/03/06(Fri) 22:01 No.5579  

着せ替え人形にセットになっているのは、いろいろな結い方の髪の毛。着物はセットに入っていなくて、女の子達が端布で手作りするものだったのではないかと思います。



J君へのお土産 投稿者:☆子 投稿日:2015/03/06(Fri) 11:50 No.5574  

下関の木村さんという方から、J君にお土産だそうです。
まえかけボックスの左に入れておきます。
私も誰かが私のために訪れて来てくれるような
大學堂店長になりたいなあ。

そして新生大學堂を実施中。
ウクレレ弾いて、いろんな人に話しかけてみています。
接客度合い,商い度合いでいうと低いです。笑

この前の会議があったからか、急に意識が高くなっており(笑)、
荷物整理のおばちゃんにも話しかけてます。

お友達が家に来る気持ちで店長をすると、自然と会話も弾む気がする。



材木買いに 投稿者:あるぱか 投稿日:2015/03/03(Tue) 12:46 No.5571  

師匠とともに、ハチ箱の材木を買いにいってきました。
「日本で2番目に安い」とか。
ここのおかみさんによると、ハチ箱のためにここに来る人はたくさんいるそうです。そして、みなそれぞれ好みがあるらしく全然違う材木を買っていくとのこと。ここではってれば、もしかして養蜂家に会えるかも!?

材木の前に、雨窪古墳にもよりました。まわりは湿地帯になっていて、また山の古墳とはなんだか違う雰囲気。



Re: 材木買いに きのこ - 2015/03/03(Tue) 16:50 No.5572  

製材所では、木材が安いほか、カットもわりと自由にできました。
あるぱかが書いているとおり、とくに今時期、養蜂家たちが巣箱の材料を買いによく来るのだ、とおかみさんが話しておりました。

事務所には、あの絵が。
キャンバスとしての木材をここにきて買い求めているそうです。



Re: 材木買いに きのこ - 2015/03/03(Tue) 16:52 No.5573  

さっき巣箱を見てきました。雨が降っているのに結構出入りしている。
心配なのは、とても子どもを捨てているということ。

http://beebee-club.blogspot.jp/?view=snapshot



「織」ワークショップ 投稿者:きぞく 投稿日:2015/03/02(Mon) 09:08 No.5567  

2月28日(土)、3月1日(日)名古屋女子大学の堀祥子さんを講師にお迎えしての織のワークショップでした。
14時から1時間くらいの予定でしたが、みなさん織りはじめるとやめられなくなって気がつけば16時・・・。「織り物は中毒性がありますよ」と笑顔の堀さん。
まずは、持参した洋服を裂いていきます。ハサミでチョキチョキ切るも良し、ちょっと切り込みを入れてから手で裂くも良し。
「太さはどのくらいですか?」
「あ、切れちゃった」
なんて言葉が飛び交いながら、にぎやかにスタートしますが、だんだんと作業に夢中になっていきます。気がつけば、さっきまでTシャツやズボンだったものが長い長いヒモ状に変身します。それをクルクル巻いて糸玉にしたら、織りの開始です。



Re: 「織」ワークショップ きぞく - 2015/03/02(Mon) 09:09 No.5568  

織りの作業工程はシンプルです。縦糸をはって、その縦糸に横糸を上下交互に通していくだけです。このシンプルな作業を続けていくと、だんだんと何かが完成していくというところが、何かを刺激して、脳の中に気持ちいい成分をピューピュー出すのではないかと思います。ふと気がつくとみなさん黙々と作業を進めています。



Re: 「織」ワークショップ きぞく - 2015/03/02(Mon) 09:10 No.5569  

裂いた布の特徴や、織る人の特徴によって、同じ工程なのにできあがってくる布の表情が全く違います。最後は、他の人の作品に感心したり、自分の作品のことを話したり。みなさん、素敵な作品なんだけど、自分では「ここをこうすれば・・・」みたいなところがあるみたいで、さっそく次に作るときのお話をされます。



Re: 「織」ワークショップ きぞく - 2015/03/02(Mon) 09:11 No.5570  

大學堂での初めての織り物のワークショップ、楽しんでいただけたようです。
3日まで2階の屋根裏博物館で堀祥子さんの作品展を開催中です。ワークショップに参加できなかった人も、シンプルで奥深い織り物の世界をのぞきにきてください。



パプアと沖縄 投稿者:あるぱか 投稿日:2015/02/22(Sun) 07:19 No.5546  

PNG(パプアニューギニア)っちどんなとこやっけ?

そうそう、こんな感じ。



Re: パプアと沖縄 あるぱか - 2015/02/22(Sun) 07:24 No.5549  

沖縄っちどんなとこやっけ?

そうそうこんな感じ



Re: パプアと沖縄 あるぱか - 2015/02/26(Thu) 01:09 No.5552  

 しょっぱなからこんな感じで、ああそうやったなあっち思いよったら、あっちいうまに、「アロタウ」についたんよ。アロタウは、ミルンベイ州の州都で、僕がこれから行くところは、ミルンベイ州のサマライムルワ県の、イエレアンバ地区。その中にあるヘセサイ村の分村、「カロタウ村」に僕の家族が住んどう。
 アロタウには、そのカロタウ村での僕のお父さんにあたる「ショーティ」の従兄弟の息子の「レニー」が住んどってから、アロタウにいる間はいつも僕はそこでお世話になりよるんよ。レニーは、小学校の先生なんやけど、なんでか全然お金がないでから、いっつも一番安い缶詰ばっかり買ってくる。なんでそんなお金ないんやろう。
 
 実は、レニーが住んどうとこは、アロタウから車で15分くらいのとこで、バスの終点からさらに10分くらい歩いたとこにある。そこはもうほとんど村っちゅうか森みたいなとこなんやけど、その村の地主に、レニーは毎月土地のレンタル代を払っとおと。
ニューギニアでは、先生は自動的に住む家がもらえる。なんでかっちいうと、先生は転勤することが多いくてから、しかも地元の人やないことが多い。ほいで、先生しよってから自分で家たてる時間もないけん、村の人が先生の家たてとるっちいうわけ。ニューギニアの人はほとんどの人は自分で家たてるけん、時間とか土地とか材木とかがないで家たてれん先生たちは特別なんやね。それと、たぶん学校のお金とかがあって、そういうのも使ってたてとうと思うんやけど、そのへんはようわからん。
ほいで、基本的にホントはレニーは小学校の先生やから、小学校の敷地内の家に住めるはずなんやけど・・・。なんか、アロタウは一応都会やから、小学校の先生も多くて、レニーは下っ端の先生やからそこにはすめんのち。ちなみにレニーの奥さんは看護士さんなんやけど、やっぱり同じ理由で、アロタウでは家がもらえんみたい。やけん、結局レニーの一家は土地代払って、しかも家も自分達でたてて、住んどおと。なんやけどよ、今回レニーの家に言ったら、めっちゃ雨漏りしとうと。なんか、実はこの家はレニー自身がたてたんやなくて、友達と友達の子どもがレニーのために作ってくれたんち。だけど、なんか適当に作ったもんやけ、建って2年もたってないんに、雨漏りしだしたんよ。しかもさぁ、地主さんがレニー達が住んどお土地を売るっち言い出したんよ。そいで、レニーたちはその家を出て、同じ地主の土地やけど、別の場所に住む事にしたんよ。ほいで、今はその場所に新しい家をたてる真っ最中。でも、レニーとその仲間達(親戚とかも手伝ってくれる)はなんでか新しい場所の隣の家に住む奥さんに頼まれて隣の家のベランダ作ったりしよるし、なんか柱がちゃんと四角形におけてなくてやり直したりするしで、全然すすまん。そんな最中にも雨漏りはどんどんひどくなりよる。しかも奥さんは乳飲み子をかかえとって、ほとんど家事ができん状態。来週からは、奥さんも仕事が始まるんに、ベビーシッターになる人もおらんし、男達の家作りは全然進まん。ついに奥さんはきれとったね。
「もう私こんな家いやや!雨漏りばっかやし、新しい家はいつできるかわからんし。お金はかかるし。もう違うとこに私だけ家借りて住む!」
そしたらレニーもきれとった。「家つくるんは、思っとうほど簡単やないんよ。雨漏りはとりあえず応急処置したやん。もうちょっと我慢し!」
「でも、だいたいうちの家やなくて隣の家のベランダ作りよるやん。そんなんしようけいつまでたってもできんのよ」
「しょうがないやん!だって地主さんの姪っ子に頼まれたらやるしかないやん」
まあ、こんな感じでこの家は毎日大変なんよ。

とはいっても、二人とも働いとるけん、お金はちょっとはあるはず。それをあてにしてかわからんけど、いろんな人がこの家にはくる。主に親戚とかやけど。いつもぶらぶらしとる男の人とかが1〜3人くらいはおる。あと、女の人もおなじように。でも、アロタウにはトランジット的な気持ちでくる人がおおいんよね。僕みたいに。州都っち言っても、規模は日本の村か町みたいなもんやけ、会社やら公共施設やらがそんなにいっぱいあるわけやないんよ。やけん、みんな他んとこにいく途中によるみたいな。結局、ずっとベビーシッターしてくれる人とか、つきっきりで家作ってくれる人とかはおらんのよね。でも食べる人はいっぱいおる。
だけか知らんけど、食べ物のこともよく問題になるんよ。食べ物は基本的には市場やスーパーで買うんやけど、これがなんかそおとお高いと。イモなんかも首都の2〜3倍の値段がしたりする。スーパーも、日本の値段と変わらんか、もっと高いくらい。しかも、月の給料は5万円くらいやけね。そんなんなんに、なんでかレニーがパソコン買ってきたりするんよ。ウィンドウズ8。そしたらやっぱり奥さんは怒ったよね。
「あんたいっつもそんなんばっかりかかってきて、食べ物とか買ってくるのはいつもあたしやん!」
「俺だって食べ物買いよおし!自分でためたんやけいいやん。だいたい自分のほうが給料いいやろ」
「そうよ、だけんいっつも土地代は私が払いようやん。なのにあんたはいっつもなんに使ってなくなりようと!どうせ他の女とかにあげてんでしょ!」
ほいで次の月に奥さんはスマホ買ってきたわ。

でも僕は知っとおと。レニーがお金ないんは(もちろんパソコンとかも買うけやけど)、給料日にみんなレニーに会いにきて、お金をもらっていくけなんよ。来た人に(主に親戚とか、同じ地域出身の人とか)レニーはすぐ千円ずつくらいわたしてしまうんよ。やけ、一週間くらいですぐなくなってしまうんよ。
 でも、やっぱりクリスマスツリーとか買うぐらいなら懐中電灯とか買った方がいいと思うんやけど・・・。僕がきたときは僕のヘッドライト使うけど、僕がおらんときは大変みたい。電池も買うお金なかったりするし。でもレニーによると、クリスマスツリーもスイッチいれたら明るくなるけいいっち。
 そんなこんなで、レニーんちはお金全然ないし、でも畑もないし、人は多いし、夫婦喧嘩は絶えんしで、いっつもそおとお大変なんよ。それでも、なんとかやっていけるんは、たぶんいくら州都っち言ってもお金だけで生活しとおわけやないけなんよね。レニーも奥さんも、地元に帰ったたときはそれぞれ食べ物を大量に持って帰るし、村から家に来る人もよく食べ物を持ってくる。あと、なんかよく物をもらうっぽい。レニーの携帯も友達からもらったんち。もちろん、レニーもよく物をあげとおけど。あと、一番お金のかかりそうな家は結局自分でたてるみたいやし、なんでか男手はいっぱいある。
 だけ、なんか大丈夫みたい。いっつも夫婦喧嘩しよおけど、一晩言い合うと次の日の朝はすっきりするんち。レニーによるとやけど。お金はないけど、家が暗い感じかっちいったら、まあ、電気なくて暗いんやけど、みんなはわりと明るいでから、昼間に学校で充電したパソコンで僕が撮ってきた写真みたりしてみんなで笑っとうと。買ってきた木材をレニーがバラバラに全部海に落としたけん、それをみんなでひろったりとか、新しい家のまわりをみんなで草刈りしたりとか、毎日毎日川に水を汲みにいったりとか、大変やけど、みんなでえいさえいさやるけおもしろいんよ、レニーの家は。「カロタウ」の村なんかは、ほとんど完璧に生活ができとって、僕が手伝えることなんかほとんどないんやけど、レニーの家は仕事がまだそおとおあって、僕でも役にたつし、今まさに自分たちの生活の場所を自分たちで作っていくっちいう感じがするんよね。たぶんやけど、ニューギニアの人たち的にも、全然違う部族の家族同士がいきなりみんなで生活しだすっちいうのは、しかも半分お金に頼りながらっちいうのは、新しいことなんよね。やけ、村とくらべるとアロタウに住むのはなんか大変なんやけど、村でやってたやり方と、お金のやり方とを組み合わせたりしながら、なんとかやってってるみたい。

そういうアロタウでの生活は、お金がないで貧乏で不幸っちいうよりも、毎日大変やけど面白いっちいうかんじがするんよ。

写真は「川のなかの道を通って登校」



Re: パプアと沖縄 あるぱか - 2015/02/28(Sat) 00:42 No.5560  

「今からこの木を全部海に落とすけ泳いでとりにきて」



Re: パプアと沖縄 あるぱか - 2015/02/28(Sat) 00:45 No.5561  

「となりの奧さんに頼まれてベランダをつくる」


Re: パプアと沖縄 あるぱか - 2015/02/28(Sat) 00:48 No.5562  

「となりの美人の奧さんに頼まれてベランダをつくる」



Re: パプアと沖縄 あるぱか - 2015/02/28(Sat) 00:55 No.5563  

「この土台はちゃんと四角じゃない・・・!」



Re: パプアと沖縄 あるぱか - 2015/02/28(Sat) 00:59 No.5564  

「来週からベビーシッターがおらんけ立てるようになって」


Re: パプアと沖縄 あるぱか - 2015/02/28(Sat) 01:00 No.5565  

「来週からベビーシッターがおらんけ立てるようになって」



Re: パプアと沖縄 あるぱか - 2015/02/28(Sat) 23:48 No.5566  

えーと、レニーんちはそんな感じで、次はムルア(ウッドラーク)島のことね。
今回はいつものサイサイのとこだけやなくて、スベスベの石を探すためにムルアにもいったんよね。スベスベの石についてはまた別のところで詳しく話すね。今回はとにかくムルア島のことを。

ムルアらへんにいたのは、12月17日〜1月2日までやけ、実質2週間くらいやね。ムルア島行きの船に乗っているときに出会った「セー君」にスベスベの石の話をしたんよ。そしたら、スベスベの石のところにつれてってくれるっちいうけん、前半はセー君の家にお世話になったんよ。セー君は町で先生になるための勉強をしよったんやけど、年末休暇で久々に帰省したんやね。そいで、暇やけん世話してくれることになったと。
で、ムルワで最初に上陸したんが、ボエボエ湾の奥にあるラワナイ村。ここにセー君の実家がある。このムルワっち島は結構広いでから、だいたい奄美大島くらいの大きさなんやけど、この島は第二次世界大戦のときに日本軍やらオーストラリア軍やらが空港作ったり道路作ったり、そのあとも金鉱がみつかって外国の企業がいっぱいきて、道路整備したり、車おいてったりしたんよね。今は、鉱山はしまってたんやけど、またもうすぐ始めるっちゅうんでまた会社がなんか入ってきとるみたい。とにかくそんなこんなで、未舗装の車の道が島のまわりをぐるっと一周しとおと。島は鉱山の他にはほとんど山はないけ、平坦で森やらマングローブやらがだだっ広くひろがっとお。ほいでその平坦な車道のわきに点々ち家があるっちゅう感じやね。
ラワナイ村の横には大きな川もあってから、村民は道路と川の両方を使って行き来しとお。山がないけ川はだらだら流れとんやけど、これがなんかそおとおきれいやったと。っちゅうか、僕は川でシュノーケリングしたのはこれが始めてやったけ、他の川がどんなか知らんのやけど、とにかくびっくりしたんよ。海で初めてシュノーケリングしたときも、なんか別の世界みたいやなあっち思ったんやけど、この川はまた海と全然違う。プールみたい?に視界が透き通っとってから、水はゆっくりゆっくり流れよる。しかも水はあったかいんよ!岸の近くには浮き草が茂っとってから、泳いでいくとそん下の方に魚がどんどん隠れていきよる。地元の少年の後ろについていきながら泳ぐんやけど、少年が足をこぐたびにその水圧で、水底についた藻が空気と一緒にほわほわん、ほわほわんっちあがってくると。もおなんか違う星におるみたいやったわ。

写真は「ほわんほわん川」

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